AIを使い始めて、メールや資料の下書きは確かに速くなった。けれど、仕事のやり方そのものは去年とあまり変わっていない。そう感じている人は多いと思います。
その感覚は、日本全体の数字にもはっきり出ています。手がかりは、中国のエンジニアから聞いた、AIの土台は日本で生まれたという話にありました。AIの仕組み、電気の歴史、知識の理論を順に読み、最後にあなた自身の仕事に当てはめて考えます。
目次
道具は入ったのに、仕事は変わっていない
総務省が2026年7月に出した情報通信白書には、日本・米国・ドイツ・中国の個人と会社を、同じ質問で比べた調査が載っています。
58.8%の日本人が、生成AIを使ったことがあると答えました。前の年の26.7%から倍以上です。今回から15〜19歳が加わったため、20歳以上だけで見ると52.2%になります。
米国とドイツの75.6%、中国の93.6%にはまだ届きませんが、差は縮んでいます。
ところが会社に目を向けると、景色が変わります。27.0%の日本の会社が、生成AIで仕事を変える組織的な取り組みはないと答えました。米国は1.4%、中国は2.6%です。全社をまたいで事業そのものを変えている会社も、日本の21.5%に対して、中国は40.9%でした。

一人ひとりは使い始めたのに、職場の仕事の流れは変わっていない。冒頭の感覚は、気のせいではなかったのです。
では、なぜこうなるのか。答えを探していくと、AIの土台は日本発という話に戻ってきます。
福島邦彦さんは、何を見抜いたのか
友だちが走り書きしたメモでも、たいてい読めますよね。字の形が教科書と違っても、少し傾いていても、同じ字だと分かります。人なら当たり前にできるこのことを、機械にさせる方法を見つけたのが福島邦彦さんです。
1979年、NHKの研究所にいた福島さんは、手書きの文字を見分ける仕組みを発表し、ネオコグニトロンと名付けました。今、スマホの顔認証や写真の検索を動かしている画像のAIは、多くがこの仕組みの子孫です。
もとは猫の脳の実験
1959年から1962年にかけて、アメリカのヒューベルとウィーゼルは、猫の脳で目からの信号を受け取る場所に、2種類の細胞があることを見つけました。2人はこの発見で、1981年にノーベル医学生理学賞を受けています。
- 決まった場所にある、決まった向きの線にだけ反応する細胞
- 同じ向きの線なら、少し場所がずれても反応する細胞
福島さんは、この2種類の働きを交互に繰り返す仕組みを作りました。大文字のAで考えてみます。
まず、右上がりの斜め線、右下がりの斜め線、横線という小さな部品を見つけます。次に、部品が多少ずれていても、だいたいその辺りにあれば良しとします。そのうえで部品の組み合わせから、上がとがった三角の形を見つけ、またずれを大目に見ます。
これを繰り返すと、傾いていても線が少しゆがんでいても、Aだと分かるようになります。

部品を見つける働きを、今の言葉で畳み込み(convolution)と呼びます。ずれを大目に見る働きはプーリング(pooling)です。この2つを繰り返す仕組み全体を、畳み込みニューラルネットワーク(CNN)と言います。
福島さんは1969年の論文で、ReLUという部品も使っていました。信号が0より小さければ止め、大きければそのまま通す部品で、今の大きなAIでも、これを改良した部品が広く使われています。
日本で立った柱は、ほかにもある
同じころ、甘利俊一さんも大事な研究を出しています。1967年には、少しずつ間違いを直しながら学ぶやり方(確率的勾配降下法)を、何層も重ねた仕組みに使う理論を示しました。1972年には、見たものを覚えて思い出す模型(連想記憶)を発表しています。
2024年のノーベル物理学賞をめぐっては、甘利さんの研究が先だったと指摘する声もあります。一方で、1958年のパーセプトロンや2017年のTransformerのように、他の国で生まれた土台もたくさんあります。全部ではないけれど、大事な柱のいくつかは日本で立った、というのが正確なところです。
眠っていた30年
では、なぜ日本発の仕組みは、すぐには世の中を変えなかったのでしょう。
1980年ごろの計算機では、この繰り返しを何層も重ねた大きな仕組みを育てられませんでした。学ばせる写真も、手元にわずかしかありません。1989年にアメリカで郵便番号の手書き数字を読ませる例は出たものの、大きく広がるまでには、さらに20年以上かかりました。
転機は2012年です。トロント大学のチームが、ゲーム用の画像処理の部品(GPU)2枚で、約120万枚の写真を学ばせたCNNを作りました。そして画像を見分ける世界大会で、2位に大差をつけて勝ちました。
仕組みの骨格は、福島さんが1979年に示したものとよく似ています。大きく変わったのは、計算機とデータ、そして間違いから一度に学ばせるやり方(誤差逆伝播法)でした。
発明だけでは、技術は世の中を変えません。動かす計算機と、学ばせるデータと、それを使う場所がそろって、はじめて広がります。今の日本で足りていないのは、最後の、使う場所を作り直すことだと私は考えています。そのことを教えてくれるのが、100年前の電気の歴史です。
電気が工場を変えるのに、40年かかった
1880年代、エジソンたちが発電所を動かし始め、工場で使える電気のモーターも出てきました。
ところが、アメリカの工場で機械を動かす力のうち、電気が占めた割合は、1900年ごろでも5%に満たず、半分を超えたのは1920年ごろでした。工場の生産性がはっきり伸びたのも、そのころからです。
モーターに替えただけでは、変わらなかった
遅れた理由は、工場の作りにありました。蒸気機関の時代の工場は、大きな蒸気機関を1台置き、それで天井に通した長い鉄の軸を回していました。軸からベルトで、1台1台の機械に力を分けていたのです。
最初に電気を入れた工場の多くは、この蒸気機関を大きなモーター1台に取り替えただけでした。軸もベルトも、機械の並びもそのままです。これでは力の出どころが変わっただけで、働き方はほとんど変わりません。
工場ごと作り直して、はじめて変わった
変わったのは、機械1台ずつに小さなモーターを付けるようになってからです。軸とベルトがいらなくなると、機械を仕事の流れの順に並べ直せます。
重い軸を支える頑丈な多層の建物もいらなくなり、平屋で明るく、物を運びやすい工場が建てられるようになりました。使う機械だけを動かせるので、無駄な回転も減ります。生産性を押し上げたのは、モーターそのものより、モーターに合わせて工場を作り直したことでした。

経済史家のポール・デービッドさんは1990年、この歴史を使って、コンピュータが会社に入っても生産性が上がらないという当時の謎を説明しました。
新しい技術は、古い仕事の形にはめ込んでいる間は力を出さない。仕事の形の方を作り直すまで、何十年も待つことがある、という指摘です。
あなたの職場に当てはめると
ChatGPTでメールや企画書の下書きを速くするのは、蒸気機関をモーターに取り替えたのと同じです。便利にはなりますが、誰が何を判断し、誰に回すかという仕事の流れはそのままです。
工場の作り直しにあたるのは、たとえば見積もりの作り方そのものを組み替えることです。案件の条件をそろえて渡せば、AIが下書きの金額と内訳を出す。人は、値引きするかどうかの判断と、最後の確認だけをする。ここまで来ると、仕事の流れが変わります。
白書の数字が示しているのは、日本の多くの職場が、まだ取り替えたところで止まっているということです。
AIが使えるのは、外に出た知識だけ
では、作り直しを止めているものは何でしょうか。私は、仕事の知恵が人の頭の中にあって、外に出ていないことだと考えています。
人は、語れる以上のことを知っている
哲学者のマイケル・ポランニーは1966年に、人は語れる以上のことを知っている、と書きました。例に挙げたのは人の顔です。
あなたも、人ごみの中で友だちの顔をすぐに見つけられるはずです。でも、どこを見て見分けたのかは、うまく説明できないと思います。こうした言葉にならない知恵を暗黙知、言葉や数字や記録になった知識を形式知と呼びます。
面白いことに、福島さんのネオコグニトロンが取り組んだのは、まさにこの、顔や文字を見分けるという言葉にできない種類の仕事でした。
今のAIは、大量の写真や文章という記録から、人が説明できない見分け方まで学べます。ただし条件があります。学ぶ材料が、記録として外に出ていることです。頭の中にしかない知恵は、どれほど優れたAIでも読めません。
パン職人の技を、機械に移した人
暗黙知と形式知の考え方を会社の経営に持ち込み、世界に広めたのも日本の研究者でした。野中郁次郎さんと竹内弘高さんは、1995年の本『知識創造企業』で、日本の会社が新しい製品を生み出す力を説明しました。暗黙知と形式知を行き来させる4つの動きで、SECIモデルと呼ばれます。
有名な例が、1987年に松下電器が出したホームベーカリーです。開発者の田中郁子さんは、大阪国際ホテルのパン職人のもとで修業し、生地をねじりながら伸ばすこねの技を体で覚えました。
その感覚を言葉と数値に直し、機械の羽根の動きに置き換えたことで、家庭でもおいしいパンが焼ける機械ができました。職人の暗黙知を、機械が動ける形に外へ出したのです。

日本の会社の強さが、詰まりになる
あなたの職場にも、分からないことはあの人に聞けば分かる、という人がいませんか。
野中さんは、日本の会社の強みを、言葉にしない知恵を隣で働きながら伝え合う力に見ていました。新卒で入り、異動しながら先輩の背中を見て覚え、長く同じ会社で働く形です。
労働政策の研究者の濱口桂一郎さんは、この雇い方をメンバーシップ型雇用と呼びました。仕事の中身を決めずに人を採り、仕事ではなく人に値札を付ける形です。終身雇用はその一部で、暗黙知を人から人へ渡すのにはとても向いていました。
ところがAIの前では、この強さが詰まりになります。白書では、社内のデータをAIが参照できる仕組みを作っている会社は、日本が24.5%でした。米国は57.2%、ドイツは54.4%、中国は73.0%です。
知恵が人の中で回っている会社ほど、AIに渡す材料が外に出ていない。私はこの差を、そういう構造の表れだと見ています。

ただし、全社で事業を変えている会社はドイツも20.7%で、日本とほぼ同じです。日本人がAIに向いていないという国民性の話ではありません。国ごとに答え方の癖もあるので、数字の差は目安として読んでください。
終身雇用に甘えない、とはどういうことか
終身雇用に甘えるべきではない、という言葉をよく聞きます。ここまでの話から言えるのは、少し違うことです。
会社に長く守ってもらうこと自体は悪くありません。危ないのは、作り直しを会社が始めてくれるのを待つことです。3割近くの会社は、まだ組織として何も始めていません。
電気の時代、工場の作り直しは新しい建物を建てる時にしか進まず、何十年もかかりました。AIの作り直しは建物ではなく、仕事の書き出しから始まります。だから、一人ひとりの机の上から始められます。
3つの質問で、自分の仕事を確かめる
自分の仕事のどれくらいが頭の中にしかないかは、図6の3つの質問で確かめられます。答えが「いいえ」の質問が多い仕事ほど、まだAIにも人にも渡せない状態です。

頭の中の知恵を、外に出すやり方
野中さんが表出化と呼んだ、暗黙知を言葉にする動きが参考になります。田中さんがパン職人の隣でこねを真似たように、自分の仕事を外から眺めるつもりで、判断した場面を記録していきます。
この見積もりは、なぜこの金額にしたのか。この写真は、なぜ使わなかったのか。理由を聞かれて言葉に詰まった所が、まだ頭の中にしかない知恵です。
うまく言えない時は、たとえ話でかまいません。野中さんも、たとえは言葉にならない感覚を外に出す最初の手がかりになると書いています。

理由だけでなく、実例も残します。良かった案と使わなかった案を並べて取っておけば、AIはそこから、言葉にしきれない好みまで学べます。人の顔の見分け方を説明できなくても、写真をたくさん見せれば学べるのと同じです。
こうして外に出した仕事は、AIに渡せば速く回ります。異動しても、転職しても、独立しても持ち運べます。
白書では、60.5%の日本人が、AIを前提にした新しい仕事のやり方を考えなければいけないと答えています。気づいている人は、もう多いのです。終身雇用に甘えないとは、会社を辞めることではなく、自分の仕事を外に出せる状態にしておくことだと私は考えています。
日本でAIが仕事を変えるまで、何年かかるのか
題名の問いに戻ります。AIの広がり方を3つに分けると、今の日本の位置がよく分かります。

1つめの入口は、利用者が1年で倍以上になり、越えつつあります。中国では、声で話しかけるだけで方言まで聞き取るアプリを高齢の人も使っている、という対談動画での経験談もありました。
日本が今いるのは2つめです。社内のデータをAIが読める会社は日本が24.5%、米国は57.2%で、他の国との差がいちばん大きいのもここです。そのぶん、伸びしろもいちばん大きいと言えます。
電気は40年かかりました。ただ、電気の作り直しは、建物を建て替える速さでしか進みませんでした。AIの作り直しは、知恵を書き出す速さで進みます。だから決まった年数はなく、外に出す人が増える速さで決まると私は考えています。
福島さんの仕組みが30年眠ったのは、計算機とデータが追いついていなかったからでした。今度は、道具はもうそろっています。足りないのは、外に出た知恵の方です。
3つの質問を自分の仕事に当ててみて、どこで詰まったかを、FunStackのDiscord「作業ラボ」の部屋で聞かせてください。
ことば帳
- 畳み込みニューラルネットワーク(CNN)
- 小さな部品を見つけることと、多少のずれを大目に見ることを繰り返して、画像を見分けるAIの仕組みです。
- ReLU
- 信号が0より小さければ止め、大きければそのまま通す部品です。今の大きなAIでも、これを改良した部品が広く使われています。
- 暗黙知と形式知
- 言葉にならない知恵が暗黙知、言葉や数字や記録になった知識が形式知です。
- SECIモデル
- 野中郁次郎さんたちが示した、暗黙知と形式知を行き来させて新しい知識を生む4つの動きです。
- メンバーシップ型雇用
- 仕事の中身を決めずに人を採り、異動しながら育てる雇い方です。濱口桂一郎さんの用語です。
出典
個人の利用経験: 令和8年版 情報通信白書 日本 / 米国・ドイツ・中国 / 仕事においてAIが今後担いうる役割等
会社の取り組み: 組織的な取組状況(数字は図表の元データCSVで確認)
福島邦彦: Fukushima (1969) IEEE Transactions on Systems Science and Cybernetics 5(4): 322-333 / Fukushima (1980) Biological Cybernetics 36(4): 193-202 / The Franklin Institute
猫の脳の実験: Hubel & Wiesel (1962) Journal of Physiology 160: 106-154
2012年の転機: Krizhevsky, Sutskever & Hinton (2012) ImageNet Classification with Deep Convolutional Neural Networks
甘利俊一: Amari (1967) IEEE Transactions on Electronic Computers EC-16(3): 299-307
甘利俊一とノーベル賞をめぐる指摘: Connectionists(2024-10)
電気と工場: P. David (1990) The Dynamo and the Computer, American Economic Review 80(2)
暗黙知: M. Polanyi (1966) The Tacit Dimension
SECIモデル: I. Nonaka & H. Takeuchi (1995) The Knowledge-Creating Company / I. Nonaka (1991) Harvard Business Review
メンバーシップ型雇用: 日本労働研究雑誌(労働政策研究・研修機構)
※ 工場の電気の割合は二次資料による概数です。中国の話は対談動画の話者一人の経験談です。確認日は2026年11月4日です。
